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 今国を挙げて新たな観光事業をつくり出す試みが始まっています。今回は国土交通省のニューツリズム創出・流通促進事業による秩父の旅モニターツアー(一泊二日)を視察してきました。

■秩父の魅力と地域活性化への鍵■
秩父は毎年12月2・3日に行われる「秩父夜祭」や5月に開花する芝桜の名所として知られており、この時期には10〜20万人の観光客が訪れます。「秩父夜祭」は京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられています。江戸時代の寛文年間(1661〜72)には祭りが存在していたという記録があり、300年余りの歴史があり、国指定の重要無形民俗文化財に指定されています。打ち上げ花火や豪華な笠鉾が曳き回され、祭りは盛大なものでありますが、残念なことに秩父市内には宿泊施設が少ないため観光客が隣接する市に流れてしまい、手間や資金を掛けた割には地元への収益効果はほとんどないそうです。

こうした一過的な観光行事ではなく、日常の秩父の魅力をアピールすべく、秩父市・日本旅行・その他民間会社・NPOが連携して開催したのが今回のツアーです。

■池袋から1時間40分のオアシス■
 秩父市は都心から遠いイメージがありましたが、池袋から直行指定席でのんびりと行くことができます。また駅の近くに県指定の公園があり、武甲山を望みながら気軽にウォーキングや野山散策を楽しめます。
ガイドは元小花流家元で現在は「花職人」「銘仙語り部」をされている木村和恵さんと、NPOちちぶまちづくり工房の2名です。木村和恵さんは「野の花のいけばな」を広める活動を行うとともに、銘仙の収集家でもあります。散策をしながら秩父の見所、養蚕業やセメント業で栄えた歴史を解説してくれました。

■生まれて初めての生け花■
散策の後は、秩父の野山で採れたお花をつかって生け花の体験です。つる梅もどき、濃紫、しそ菊、紫蘭の実といった花々が参加者の前に並べられています。「まずは自由にいけてみて」という木村さんの言葉で、どうしたものやらと思いつつ一本ずつ挿してみますがこれがなかなか難しい。思った方向に花が傾いてくれなかったりバランスが悪かったり。悩んでいるところへ木村さんがやってきて、「花が全部後ろに向いている。あなた後ろ向きな性格でしょ。」とすっぱり当てられてしまいました。性格が出るものなのだと思いました。また同じ花でもいける人によって全然違う印象になるのもおもしろいと思いました。

■秩父夜祭練習の熱い夜■
 夜祭一週間前ということで、地元の方たちの練習を見に行きました。太鼓の音色はどぉんどぉんと腹にずしずし響きます。あまりの迫力で普通の小さい子は泣いてしまいそうですが、地元の子は4歳くらいから練習を始めているので小学生の手つきはもう慣れたものでした。
  あちこちの市町村で若い人の都会への流出や人口減少に伴い、祭りを支える引き手担ぎ手が少なくなっているという話を聞きます。秩父市でも例外ではありません。では何故これだけ盛大な祭りを継続していけるのか。まず、祭りの笠鉾は6つの町でひとつずつあり、引き手は男だけだったのを女も参加できるようにしました。更にそれでも足りなくなってしまったので、市外の人に引き手の参加を呼びかけたところ多くの人が集まってきたそうです。「外」の人達に呼びかけることが祭りの周知や宣伝となり、たくさんの交流を生み出し、祭りを一層盛り上げているのでしょう。

■秩父神社とモダンなまち並■
 秩父には33箇所の札所と秩父神社があります。秩父神社の拝殿は徳川家康が建立したもので、日光東照宮の「眠り猫」を手掛けたといわれる伝説の人物「左甚五郎」の彫刻により四方を彩られています。
  また、養蚕業や昭和の時代にセメント業者の客で栄えた花街のモダンな建物がそこかしこに残っています。秩父市ではそれを文化財に指定し、観光スポットの動線がつながるような散策コースづくりを行っています。また、古い建物自体を交流場所やテナントとして再利用を始めています。それは古いものの中にある新しい価値の発見です。

■これからの秩父 〜感じたこと〜■
 最後に訪れたのはそうした「価値」を見出した一人が営んでいる喫茶店です。銘仙にほれ込み、地元の人達の交流の場を作りたいと37歳で仕事を辞めたそうです。秩父の良さを知ってもらいたいと損得抜きで活動している一人です。
 今回はモニターツアーの参加者として視察に行きましたが、木村さんに当NPOの話をしたら「それはぜひいらっしゃい」と笑顔で話してくれました。一緒に何かをやってみたいと感じる人達と会い、そして個人的にもまた散歩に行ってみたいと思う所でした。日帰りでも充分行けるのでおすすめです。

木村さん
秩父散策 ガイドの木村さん
武甲山

 尖った山頂をもつ武甲山.秩父盆地の南に位置し標高は1,295メートル。大正初めころ特産となる石灰岩の採石が始まり秩父の一大産業となる。一面を埋める瓦葺の江戸の町が、見事なまでにコンクリートで埋め尽くされていった。今は荒々しい姿形と共に無残に削られ傷ついた山肌が痛々しく、近代産業のすさまじさを感じる。

生け花
 
もともとは農家自家製の「玉糸」や「熨斗糸」、いわゆる屑糸が用いられていた。その後絹紡糸が明治中期に、さらに大正に入ると本絹糸が用いられるようになった。織機も手動から機械化し、安価で丈夫、従来の無地縞から柄の種類も豊富になり、モダンでハイカラな大衆衣料の花形となった。
夜祭
秩父夜祭練習の様子
昭和のまち
昭和の時代がそのまま残る町並み
つなぎの龍
秩父神社「左甚五郎」作といわれる彫刻